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みなさま マルセイユからニースの車窓は、地中海が見えて、なかなかいい眺めでした。 ボーダーだけで世界の車窓からをお届けしたのは、私がマルセイユをビビりすぎて、朝散歩の前に、ミッフィと23を鍵がかかるスーツケースにしっかりしまって、ホテルの荷物置きに預けたことと、そのまま、鍵かけたスーツケースに入れたまま、電車に乗ったからです。 さて、6月19日、15時37分、ニース駅到着。 駅前に観光案内所があり、明朝スーツケースを預けるロッカーの確認をしました。 カルカッソンヌのホテルで、駅に荷物を置くロッカーはありますか?と聞いたら、今はありません。テロ以降法律が変わって駅のロッカーは撤去されました、とのこと。 そしたら、他の街の駅もロッカーはなさそうですね?と聞いたら、そうでしょう、と言われたので、駅前に泊まらないニースでどうするか確認する必要がありました。 そしたら、駅から一番近いくらいの裏通りにある二つ星ホテルで、荷物を預かってくれるとのこと。 観光案内所では、すでにバッチリ準備していて、ロッカーを引き受けているホテルの名前住所が書いた紙をいっぱい準備しており、渡してくれました。 翌日訪ねて行ったら、古い建物の前庭に物置小屋があって、そこをロッカーとして貸していました。 一個5ユーロだっけ?ぼろ儲け。 そこのホテルはテロの危険よりも荷物を預かる実利をとったんですね。 実際、ニースみたいな観光地で、駅にロッカーがないなんてのは、無茶な話で、次善策だと思いました。 さて、私たちは、駅前でタクシーを拾い、少し離れたところにあるホテルへ。 タクシーの人は、胡散臭いくらい愛想よく、ニースの主要産業はなんですか?なんて世間話にも、そりゃ観光ですね、観光!と明るく答えてくれ、たまたま見かけた自動車教習所の前では、日本では免許を取るのは高い?とか言って、うだうだ世間話。 1ユーロ140円換算でも、フランスのほうが教習+免許取得が高いことがわかりました。 あと、次の日の夜にジャズのフェスがあるのでとても賑わうし感じがいいですよ、ぜひ行ってみてください、と言ってくれましたが私たちは弾丸日本人観光客なので翌日はもうリヨンに移動日だったのですね。 さて、ホテル。 この、桃色のホテルに泊まりました。 ホテルサンポール。 ちょっと中心から離れたところなのですが、ホテルの部屋から地中海が見えるところにこだわってここにしました。 部屋。 鎧戸というのでしょうか? 窓に木の校倉造みたいなカバーが付いてて、地中海の街、って感じがしますね。 こんな普通の部屋。 ここのホテルは、旧セミナーハウスだったそうで、そう言われると納得の、最低限の設備。 扇風機がありました。クーラーがなかったのかもしれません。 部屋にドライヤーがなかったのですが、聞けば貸してくれたのかもしれません。 一階では、実際何かセミナーか学会みたいな会議をやっていました。 ホテルの前から。 目の前の道路を挟んだところから、海に入っている人がたくさんいました。 目の前の道。 朝は走ってる人もいました。 タクシーを呼んでもらって、とりあえずさっさと、マセナ邸に向かいました。 途中は結構派手に渋滞していました。 道から見える道は、インラインスケートしてる人や、スケボーの人もおり、ペニーに乗ってガーコガーコ行ったら楽しそうだなぁ、と妄想しました。 海の街らしく、浮き輪や水着を売ってる店もたくさんありました。 じゃじゃん、マセナ邸。 18時閉館だったと思うのですが、17時30分くらいかな、ギリギリ到着。 無料見学なので、もしかしたらいれてくれるかな?と思ったのですが、それよりも別の問題で追い出されました。 多分ボクシングだと思うのですが、なんかのチャンピオンの記者会見が準備されていて、これのために人払いをしていました。 邸の前の庭は、老人や子供連れが憩っていて、木陰で暑さを避けていました。 マセナ邸ていうのは、そもそも、ニースが栄えたベルエポックの頃にここに別荘を構えたマセナ氏の旧邸宅で、当時の邸宅はほとんどがホテルなどに建て替わっているにも関わらず、ここだけ残っていて、美術館にもなってるというところです。 日本でも、お金持ちの昔住んだ家が美術館になってるようなところに上がり込んで、こんなんうちにもあった、とか言って父を羨ましがらせるのはハハの得意技ですが、さすがにここにはうちにもあったようなもんはないやろ、と言いながら、ニースの実力を見極めに上がったわけです。 見られず残念でしたね。 うちにもこんなんあったというわけがない地中海が見えるテラスが、マセナ邸にはあります。 ようこそ、マセナ邸、とご満悦の母。 横には、ホテルネグレスコ。 ここは有名な高級ホテルで、建物もかっこいいのですが、貧乏人入れてくれません。 学生の頃リヨンに一ヶ月いた時に、友達になったひろみさんと二人でニースに来ました。 キチャナイなりで、ネグレスコ入ってみようと突撃しましたが、ドアマンに無言で首を振られ入れませんでした。 フランス語でノンも言ってもらえんかった。 そんな思い出のネグレスコです。 今回入れるのかどうかは試してみませんでした。 さて、そのちょうど向かいにある浜へ。 階段を降りて、水着の人が日焼けしてる横に陣取り海を眺めてみたら、トップレスのおばちゃんがあえての背泳ぎで泳いでいました。 開放感があってあれは気分がいいでしょうな。 私も地中海に入ってみました。 泳ぎて〜!! めっちゃ暑くていい天気です。 ダーン!! とはいきませんでした。 こんな感じで、みなさん焼いていらっしゃいました。 僕らも少し焼いたほうがニースが似合うな、と23。 水着持ってこなかった、残念、とボーダー。 さて、散歩しましょう。 プロムナードデザングレです。 ラウルデュフィの書いた桟橋のカジノの絵がありました。 この向こうに見えてる桟橋の上に、デュフィの時代はカジノがあったのですね。 これは、ベルエポック時代の人々の社交場になっていて、いろんな人が絵に残しています。 デュフィは高校の頃に姫路の美術館に展覧会で来ていて、たまたま誕生日が同じな縁で気に入ってニースか〜いつか行ってみたい、と思っていたのでした。 この写真を撮ってたら中国の人に中国語で話しかけられ、中国語でわかりませんと答えたら、英語で中国人かと思った!ごめんね、と言われました。 話しかけられた内容が英語だったらお話しできたのですが、彼女は行ってしまいました。 残念。 こういう感じの海際の歩道がずっと続いてるのがニースっぽいところなんですな。 プロムナードデザングレ(イギリス人の散歩道)というところです。 昔イギリス人がたくさん来て、ホテル建てて、わいわい賑わってた界隈ということです。 上海のフランス租界とかイギリス租界とかのニュアンスとはまた違う、もっと自発的に集まってた感じなのでしょうか、今は地名とホテルの名前で当時の面影を忍べます。 つまり、この界隈の古いホテルは、イギリス人向けに開発されたものが多いので、ホテルの名前が英語風なのですね。 浜のほうは、ホテルのプライベートビーチになってて、勝手に入れないようになっています。 プロムナードに万国旗がはためいてる景色は、デュフィの絵でもお馴染みの、プロムナードデザングレの風景です。 少々海辺のプロムナードも飽きたので、ここから、キュッと街の中のほうへ方向転換。 アルベール1世公園を通り抜けてマセナ広場を目指します。 暑くて夏ですな。 19時くらいですが日が高いです。 ほとんど夏至ごろだったので、9時過ぎまで明るかったです。 レールに乗ってくるーっと回る椅子で休みながら夕飯の算段を。 くる〜っと回るのが楽しくて何度かやって受けてたら、読書中のおじさんに笑われました。 ホテルの方角はちょうどニース港の方向で、ニース港の周りには良さそうなレストランがたくさんあるね、と、タクシーで来る時に母と話していました。 ガイドブックを改めてみると、その港の近くに魚が美味しいレストランがあるとのこと。 電話して予約して見ることにしました。 この位置関係。 赤いロバという意味のラヌルージュというレストランです。 夕飯を決めたら、散策再開。 こちらマセナ広場。 上に正座したり体育すわりしてる人の像が飾ってました。 なんか、シュール。 広場にそばに、レペットのブティックがあったので、入ってみました。 日本で買うとすごく高いフラットシューズですが、なんぼやろかと思い入ってみました。 素敵な靴でしたが、現地で買っても高くてあきらめました。 どうしても欲しかったら多分日本で買うよりも安いでしょうけど、日本で値段見てなかったので割安感がありませんでした。 けど、バレエの曲が流れてて気持ちのいい店内だったので、二階に上がり、レオタードやトウシューズを眺めました。 二階に上がる時、軽く声かけて行ったのですが全員接客中だったので、私たちが二階でうだうだ言ってたらお店の人が飛んできました。 バレエが好きでして、レペットも大好きなんですよ、ちょっと見ていいですか、と話して、いろいろみました。 こちらがフランス語を話すだけで、お店の人はどこの人もみんな一安心するみたいです。 トーシューズのオーダーのスペースなんかもありました。 素敵やねー、いい気分と言いながらハハと店を出ました。 今度は意外にお店がまだ開いてるので、ガイドブックで見て、行ってみたかったカゴやさんに。 旧市街の方なのですが、広場からすぐでした。 フランス製を中心に世界中のカゴを売る店で、ちょっと良さそうな竹か笹のカゴを見て、お店のおばあさんが少し手が空いたみたいだったので、これはフランス製ですか、と聞いたら、おばあさんは少しためらって、ベトナム製ですね、と言いました。 ふむふむ、正直な応対好感が持てます。 フランス製はどのカゴですかと聞いたら、おばあさんがカゴの説明をしてくれました。 カゴはそれぞれ産地の植物を使ってできていて、フランスには竹は生えなくて、籐(トウ)が生えるので、籐のカゴはフランス製です。 シュロはモロッコ製、竹は中国かベトナム製。 なるほど。 よくわかりました。 そこで私は、フランス人がよく使う、シュロで編んだモロッコ製のカゴをゲット。 おばあさんは、私に、浜辺に行きますか?市場に持って行きますか?と聞いてくれて、まあ、買い物に行くのに使うと思うから、市場かな、と言ったら、じゃあ、クラシックなのがいいでしょう。 これは、クラシックでトラディショネルですよ、と、持ち手が革でシュロで編んだのを勧めてくれてそれにしました。 そこから、広場を横切りラファイエットへ。 途中で、ATMでお金をおろしました。 お金を使うところの近くには大抵下ろすところがあるものです。 ラファイエットで少しお買い物をし、レストランへ向かうのにタクシー溜まりにタクシー拾いに行ったらいません。 お店のひとに呼んでもらおうかと店内に戻ったら、ちょうど、マネージャーと名札に書いた黒いポロシャツのお兄さんが通りかかり、タクシーに乗りたいんですが、と聞いてみました。 タクシー溜まりにタクシーがいないのを確認したら、電話してタクシーを呼んでくれました。 出払っているみたいで、なかなか電話が繋がらなかったですが、粘り強く呼んでくれました。 さすがマネージャー! ラファイエットのタクシー溜まりにて、待つハハ。 このタクシーの運転手さんはしゃべり好きな人でした。 元奥さんが、日本に留学してて大阪にいた、とか、日本風の朝食を作ってくれて僕も好きだったとか言っていました。 この運転手さんは、みんな、なんでニースが好きなんだろうね?ま、僕の街だけどね、とかましており、パリは行ったのかい?パリは好きですか?とか、マルセイユの運転手さんはニースに対抗意識燃やしていましたが、ニースの運転手さんは余裕ぶっこいていて、パリに若干の牽制をしているような感じでした。 他にも、日中関係や、仕事の話など、留まるところを知らず。 降りる時は、Merci pour la discussionディスカッションありがとうと言われました。 運転手さんがバンバン話しただけのような気もするのですが、面白かったです。 さて、電話で予約した、ラーヌルージュ。 赤いロバがお店のマークです。 思った以上にうやうやしい店で、きっちり白シャツに黒いベストの歌手のストロマエに似たお兄さんが仕切っていました。 メニューが難しくて難しくて…いろいろ相談に乗ってもらったのですがフランス語がはっきりわからず、ハハがオマールが食べたいと言って相談したのですが微妙に違うのが出ました。 こちらは前菜のサラダニーソワーズ(ニース風サラダ)。 ですが、シュッとしたお店なので、シュッとしたサラダニーソワーズが出ました。 アンチョビ、ツナなどが入っているのがニース風なのですが、アンチョビくさい感じではなく、多分もっとポピュラーな庶民的なところに行けば庶民的な下手なサラダニーソワーズが出たのかもしれません。 とても美味しいサラダでしたが、ちょっと洗練されすぎていました。 これ、オマールが食べたいハハに、オマールのなんとか、のなんとかの部分がどうしてもわからずエイヤ!それ二つ!と言って持ってきてもらったもの。 ポレンタに白身魚が乗って、オマールのソースがかかっていました。 おそらくズッキーニの花が添えてあるようです。 ズッキーニの花のてんぷら中のも名物らしいですが、これももっと庶民派なんかな。 ふむふむ。 ハハにはオマールのプリプリした身を味わってもらえず残念でおましたが、十分以上に美味しい魚でした。 デザート。 なんか焼き菓子に生クリームが乗っているもの。 くれていくニース港。 ドンピシャで港の真横です。 マルセイユのブイヤベースのお店も港の横で魚自慢のお店でしたが、魚が美味しいフランス料理のお店に外さず入り続けてるというのは、すごいですね。 まぁ、どちらも、結構ちゃんとしたお店をチョイスしていますが。 ハハは紅茶を選び、私はコーヒーを。 ハハが手洗いに言っている間に隣の席の身なりのいいおじさんとおばさんと話し始めてしまいました。 そしたら、フランス語がお上手ですね、などと言われてしまい、いやいや、全然不十分なのです、特に、料理なんかは何が出てくるのか全然わかりません、と言ったら、それは私たちもですよ、と言って笑われました。 で、ただね、さっきもこちらで勝手に話してたんですが、あなたのフランス語は一つ直すところがありますよ、と言われました。 コーヒーを私に、紅茶を彼女に、と頼んだ言い方が、彼女に、よりも、こちらのご婦人に、とか、私の友達にとか、そういう言い方のほうが感じがいいですね、と言われました。 彼女に、だと、冷たい感じがするのだそうです。 へぇえー、次は必ずそう言ってみます、とお礼を言い、ものすごい上品な話し方する人たちだな、と思って、恐縮してビビっておりましたら、ハハが戻ってきて、ビビりすぎたので、紅茶残ってたのに、あたふたと会計して出てしまいました。 ハハよ、小心者でごめんね。 たしかに、ムゼラーさんも、これはナオコに、と、お店のひとに注文するときに、ナオコと言っており、お店の人はナオコとか知らんだろうに、と思ったことがあったのですが、これはフランス語の表現の問題だったんですね。 レストランからホテルに歩いて帰りました。 港の周りには、もっとカジュアルなものも含めてたくさんレストランがあって、いい感じでした。 来た方。 もう夜ですね。 夜のホテル。 ホテルのレストランも結構いいらしいのですが、この日は例外的に休みだったのです。 部屋から窓の外。 道挟んで向かいの建物は、ワイワイパーティやってるみたいでした。 金曜の夜でしたしね。 部屋でハハが充電器をコンセントにさそうとしたら、火花が出て電気が消えました。 停電してしまったので、フロントの女の子に言ったらすぐ来てくれて、部屋のクローゼットの中にあったブレーカーを見たら落ちていたので、あげてくれましたが、電気は戻らず、フロアの大もとの方を見に行ってくれて、治りました。 ハハは、カルカッソンヌに続き、大事になったらどうしようとビビっていましたが、あっさり治りました。 けど、少し設備が古いのかもしれませんね。 対応は良かったです。 地中海の波の音をかすかに聞きながら眠りました。 次は、ニースの朝です。 ごきげんよう。
by takatanaoko
| 2015-07-12 22:00
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