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みなさま 学校に行き始めてくたびれて更新をサボっておりました。 忘れないうちに母との旅行の続きとうまかった食ったものについて書きとめておきます。 スパから、電車でリエージュへ行き、そこから、TGV(来てみたらThalysだった)にのってケルンまで行きました。 タリスの中では、オステンドから来ている初老夫婦と同席し、おじちゃんが私の怪しいフランス語にもひるまず喋る喋る! 話はチョコレートの話からワカモンのモラル低下の問題、ヨーロッパ人が自己主張するという話題から、フラマン政府(注:ベルギーには政府が3つか4つあり、それぞれに大臣がいる。フラマン・オランダ語圏地域の政府、ワロン・フランス語圏の地域の政府、ブリュッセルの政府、ベルギーの国の政府、ワロンの中には、ドイツ語を喋る地域も小さいながらあるので、その地域の政府もあるらしい)が政府を簡単にする大臣、を作った、という話題まで、紳士67歳とどまるところを知らず。 私も、怪しいフランス語で応戦しましたが、通じたのかどうかナゾ。 もともと、おじちゃんの世間話は日本でも好んで聞きますので、楽しかったんですが、ほとんど景色は見ず。 12時過ぎ、昼めし前。夜8時過ぎのCity Night Lineまで時間をつぶさなければなりません。 ケルンに着き、ロッカーを探すと、コインロッカー発見。日本のと少し様子が違います。 荷物を預ける扉が一箇所しかなく、お金を入れると、その扉が開き、荷物を入れボタンかなんか押すと扉が閉まり、紙に磁気がつけてあるカードが出ます。荷物は、タワー式の駐車場のように中で勝手に回っていて、取り出すときはカードを入れると中から荷物が回ってきて、扉がガッチャンと開いたら、中に荷物が待っている、というロッカーというか、機械です。 そいつに荷物を入れて、駅を出ると、大聖堂。 どっしりとしてます。かなり背が高いです。前回友人しばっちと来たときはバシバシ登りましたが、今回は母と一緒で、ノートルダムで懲りた母は登りたくない、と渋っていました。 とりあえず腹ごしらえしよう、と、大聖堂の前を通り過ぎ、商店街ゾーンへ。 Nordseeというチェーンの魚ファーストフード店へ。 海老とかしゃけとかのうまそうなのを、とりあえず、ダスビッテ(これくれ)、テービッテ(茶くれ)などと指差し購入。 うまかったですけど、混んでたし、写真撮りませんでした。 母がトイレで、お金を払わなきゃいけないと思って(ヨーロッパではお金を払うトイレがすごく多い。0.40~1€位)、おばさんがいたし、皿が置いてあってコインが入っていたので0.50€置いたんだそうな。そしたら、おばちゃんが笑顔で飛んできて、便座をささっと拭いてくれて、満面の笑みでトイレを勧めてくれたそうです。チップの威力を知った、と母が感心していました。気持ちよく用事をすませることができたんだそうな。 私も直後行きましたが、チップは置きませんでした。そしたら、普通でした。 その後、ぶらぶらしていたら、百貨店がバーゲン開催中。 今までは父と一緒に行動してましたから、あまり無駄に店の中を歩き回ったりしませんでしたが、この度は母と二人。 Kauhofといったっけ?何かちょっとサティっぽい百貨店で、クリスマス休暇最後の土曜日、というだけあり大混雑。 アイロン台が人気でよく売れていました。4・5ユーロでピアスなんかも売っていました。3000円くらいでカシミアのマフラーもありました。お母さん、お父さんありがとうございました。 その後、また商店街を逆流しながら、今度は服屋をあらかしました。 私はこちらでは迷った末、何も買ってもらいませんでした。 ウィーンへ行く途中でしたしね。 母はセーター(カーデガン)を洗い換えに見つけました。 その後、木でできたクリスマス飾りやおもちゃを売っている店(しばっちとも行った店。大聖堂の左横の広場を越えたところにある)でくるみ割り人形を買うや買わんや、とウダウダいい、結局ご購入。教会へ戻り、大聖堂の上に上がろう、と試みました。 エレベーターと書いてある案内があったので、へー!そんなのあり?と思ったら、もう時間が遅いから登れません、といわれてしまいました。4:30でした。なんのこっちゃ。 母はややほっとした面持ちで、大聖堂珍品展示室(中国語案内ではこういう表記。日本語のは忘れました)に。新しい教皇のベネディクト何世が、ドイツ人で、彼がここと縁があるのか、とにかく、来たことがあるらしく、彼の写真のついたありがたそうな絵ハガキを売っていました。 日が暮れる直前に、ライン川を見ておこう、と教会の裏へ。川面を渡ってくる風は冷たく寒いです。 川沿いに少し歩いて、適当に右折(商店街方向)。レストランがあるなー、と横目で見ながら、商店街へまた戻り、駅方面へテクテク。赤黄黒ドイツのトリコロール(ベルギーも同じ色使いだけど)の羽飾りをつけてベストを着たチワワが人ごみの中を歩いていました。犬がたくさん人ごみの中にいて賢くしていました。Kauhofの前では、ヨーロッパに来て初めてイヌのう○こを拾っている人を見かけました。目指すは駅の近くの食堂。なぜかというと、写真付きのメニューが店の前に出ていたからです。 6時ごろ、食堂へ突撃。外からは中の様子が見えません。 入ってみたら、カウンターとテーブルがあり、奥のテーブルには常連風のおじさん軍団が。 キリっとしたおばちゃんが注文をとりにきてくれましたが、うまく伝わらず。おばちゃん、何かをドイツ語でいい、身振りで付いて来い、と示し、外へ。一緒に、写真のところまで行ってくれて、無事指差し注文しました。 アイスバインです。豚のすねだと思います。私が頼んだのには、アイスバインにザウワークラウトとマッシュポテトがてんこ盛りについていました。母はBoek wurst mit sauer krautとかいうのを頼み、焼いたデカイソーセージにベーコンといためた芋(ジャーマンポテト)とザウワークラウトがのった一皿でした。私のところにゼラチンたっぷりのデカイ豚のすね(豚足の付け根のほう)の塊が運ばれると、向かいのテーブルのおばちゃんは微笑み、私に目配せ。フォーク・ナイフである程度さばいて喰らい、ワイルドに骨にしゃぶりつきます。常連風のおじちゃんたちは私の勇姿に注目、ウインクくれます。さっきのおばちゃんも、にこにこしてみています。 絶対に残せない! と思い、 ここはスピードの勝負だ、満腹中枢が働く前に完食せんことには! と、ウインク・目配せには、親指を立てたグッ!のジェスチャーとゼアグート(とてもよい)だのクーストリッヒ(美味)だのという友達から聞いた実践ドイツ語で答えながら、ガンガン飛ばしました。 結局、マッシュポテトには手をつけられませんでしたが、肉の部分は思い残すことなく喰らいきりました。 食べ終わるころには店が混んできて、母と私のテーブルに他の家族が来たので、おじちゃん軍団は私がどこまで食べられたのか見ることができず、トイレにたったおじちゃんがしっかりと偵察に来て、私の食べた量を確認していかれました。 うまかった~~。ほんと、おいしかったです。 もともと豚足とかブリブリした食べ物や、ベーコンなどの塩辛い肉が好きなのですが、もう、大満足。一口目は味が薄いかな、と思いましたが、あの量ならちょうどいい味でした。 もー、無理かも、と思ってムッとしてきても、すっぱいザウワークラウトがある限り食べ続けられます。 後日、母帰国前日、ブリュッセルの魚がおいしいVismet(ブリュッセルのサント・カトリーヌにある。すごくおいしい、ちょっと高いベルギー魚料理の店)で、旅行中食べたもののおさらいを母としていたら、となりで一人でドイツ語の新聞を読みながらご飯を食べているネクタイのおじさん(40・50代くらい)が満面の笑顔でこちらを見ているではないですか。私たちは、ウィーン、ドイツで食べた食べ物の名前を繰り返し言っていたので、おじさんにも聞こえてたみたいでした。目があっちゃったし、話さなきゃいけない雰囲気だったので、「もしかして、ドイツ語をお分かりですね」とフランス語で言ったら、そのおじさんは「ええ、ドイツ人ですから、英語ドイツ語、フランス語も少しわかります」ということで、私がウィーンで食べた料理のドイツ語の名前がどういう意味だったのかを尋ねたりすることができました。そのときに、「ケルンでアイスバインを、こーんなでっかい塊を食べたんですが、店のみんなが見てて」という話をしたら、おじさんが、「観光客の女の子にとってそんな大きい塊のアイスバインを食べるのは普通のことですか?」というので、「私は好きなので、食べましたけど、たぶん普通ではないと思います」と答え、「ドイツ人の女の子は食べないんですか?」と聞いたところ、「でっかい女の子はでっかい塊を、小さい女の子は小さい塊を食べますかね」と言われちゃいました。 ドイツ人の中に入ったら、私は小さく見えますので、それで、あのおじちゃんたちは、私がどの程度食べられるのかに興味があったんだ、というのがわかりました。 とにかく、そのでっかいアイスバインを食べ終わり、店を出たら、大聖堂の鐘がしつこいほど鳴っていました。10分はなってたような気がします。 その後、夜行列車が来るまでの間、駅の本屋さんで日本について書いてあるドイツ語のガイドブックを眺めて、へーこんな店が乗ってるよ、へー、姫路のホテルはキャッスルホテルがのってんのねー、などなど時間をつぶし、夜行列車に乗り込みました! 夜行列車は、ウィーン行きとイタリア・トリノ・ミラノ行きが半々になっていました。 二人用の個室を予約していたのですが、初めて乗ったので、ほんとに個室かね、と不安でしたが、ちゃんと個室でした。車両の中に一本廊下があり、廊下から階段を半分下りた半地下の部屋、階段を半分上がった中二階の部屋、二種類があり、私たちのコンパートメントは中二階でした。二階建ての天井が低い部屋に二段ベットがあるので、ベットに腰掛けて頭をまっすぐ起こして座ることができません。とりあえずごろごろしてみました。 洗面は付いていましたが、水が出ませんでした。同じ車両にあったトイレは流れましたが手洗いが水が出ませんでした。ドイツ語で何か放送がありましたが、さすがにまったくわかりませんでした。たぶん他の車両では水が出るといってたようでしたが(たぶん)。 女の車掌さんが来て、私たちのパスポートを持っていって、朝7時に朝ごはん持ってきますから、といい去っていきました。(写真は、ぶれていますが、部屋の様子です。テーブルにあるふたを開くと洗面の流しと蛇口が中に入っている。ビンに入った水(何かおいしくなかったけど)と綿でできた耳栓が2つ置いてありました) 電車はライン川沿いを川上へ進み、ボン、コブレンツ、マインツなど通過し、途中、古城ホテルがライトアップされてたりするのがたまに見えながら、フランクフルトに入りました。フランクフルトで、電車の進む方向が変わりました。欧州型大きい駅のどん詰まり形ホームだから、後ろが前になったみたいです。私はフランクフルトまで起きてようと思っていたのに、うとうとしていて、気づいたらフランクフルトを出るところでした。 その後、電車は、寝ている間に、マンハイム、シュツットガルト、アウグスブルク、ミュンヘン、とドイツの南のほうを通ってオーストリアに入り、ザルツブルクを通るころには外の景色は真っ白。リンツを通り過ぎ、朝ごはんを食べたりしているうちに、とうとうウィーンに着きました! つづきは、次の更新で。 ごきげんよう。
by takatanaoko
| 2006-01-22 09:57
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